2012年1月19日木曜日

仲間と楽しく ~農業の良さ Part2~

約2ヶ月ぶりのブログ更新。ご迷惑をおかけしました。
冬に入って、鮎河は寒い寒い寒い。今年は雪が多くないらしいんやけど、東京もんとしては辛い。鮎河に今から永住するのはきついなあと思う一番の理由は、この寒さ。やっぱりあったかいとこに住みたいよね。

とにかく季節がら農作業などほとんどないわけで、ぼくの体も頭もなまってる。
なにかしら作業はあるだろうと踏んでいたが、漬け物や味噌づくりくらいでほんとに何もやることがない。
ぼく自身もなんか物足りなさを感じているところであるが、もし専業農家だったらこの季節はほとんどオフに近いのかなあなんて思ったり。常に安定して収入が入ってくるわけじゃないのが難しいよね、農業は。

昨年part1を書いて終わっていた農業の良さの紹介。
ずっとpart2を書こう書こう思ってたけど手をつけられてなかったので、ようやくといったところだ。
前回は、農業を一人でやるものとしての良さ、まあ別に一人に限定したわけじゃないけど、農作業そのものの良さを紹介した。今回は、まだ良さとしては全然実現していないこと、仲間とやる農業についてちょっと書きたい。


まず農業って、どんなイメージがあるんだろう?
一人孤独に作業をするイメージか、それとも隣のおっさんと会話しながら楽しくやってるイメージか。
どちらのイメージにしても、責任を負うのは結局自分一人という意味で同じ。つまり、みんながみんな個人事業主というイメージなのだ。
イメージにとどまらず、これは現実そのとおり。最近は農業への企業参入も叫ばれ始めているが、土地をそう簡単に手放してくれるわけもなく、まだまだほとんどが個人経営という実態だ。個人と言っても家族で協力してやっているケースが多いが、常に共同で作業ができるわけでもないだろう。今の農業に「仲間」「チーム」のようなイメージは全く当てはまらない。

こんな中、鮎河の農事組合法人「すごいえぇのう鮎河」は、チームとして農業をやっている数少ない例だ。数少ないと言っても今や農事組合法人は全国各地に存在しているわけだが、農業全体から見たときに数少ないチームとしての営農組織であろう。
うちの組合は、皆平日はそれぞれの専業があるため、基本的に土日だけの共同作業である。農業において週末しか作業ができないというのはそもそも致命的な部分もあるが、どうしてもやらなければならないことは有志で平日に作業を行ってなんとか補っている。

チームとして、つまり一企業として何かを行う際に大事なのは、理念の共有だ。なんのために作業をしているの?これが曖昧なままだと構成員の士気は上がらない。
うちの場合は、「郷土愛」。なんとも抽象的かつ共有しづらいテーマだけど、この鮎河という地を守っていこうというスローガンのもと活動している。ご察しの通り、この理念ではなかなか結束力は生まれない。現に、作業に積極的に参加する人はほんの一握りというのが現実。これはうちの永遠の課題だ。
そんな曖昧な理念を設けるから悪いんだという人もいるだろうが、たとえば企業のように利益を追求することを第一としたらどうだろう?たぶん、全然集まってこない。なぜなら、組合員はみんな本業で十分生活ができているからだ。休日返上までしてさらに稼ごうと思う人はそういないだろう。

そう、休日返上してまで作業に出てきてもらうハードルは高い。そこまでするならもうやめてしまえばいいのにと思うが、それを思いとどまらせるのはやはり、「郷土愛」なんだ。自分が育った村が雑草ぼうぼうの荒れ地になることはどうしても耐えられないという気持ち。(ちょっとネガティブだけど。。)良く言えば、鮎河を守っていきたいと言う気持ち。

なんだかんだ集落営農は郷土愛が根本にないといけないのはわかってもらえたと思うけど、持続的にやっていくためにはやはり楽しくないといけない。楽しくないと。
そうだ、今回は共同作業のどのへんが楽しいか書くんだった。


農業と一言で言っても、いろんな仕事がある。機械操作、力仕事、機械整備、各種計算。農業は体力勝負と思われがちだが、いろんな能力が要求される。ぼくもこっちに来て、力だけじゃなく、いろんな能力が足りないと痛感させられている。
たとえば、異変に気付く能力。作物の生育があんまり良くないとか、機械から変な音がするとか、肥料がちきんと落ちていないとか。常に気を配っていなきゃいけない。ぼくは常々ぼーっとしている性格で、全然ダメダメ。ひ弱な体よりも、注意力のなさの方が致命的だと思っているくらい。

これだけたくさん能力が問われるということは、それぞれ得意としてる人がいるということ。うちの組合はまだ能力で仕事を振っているというよりは、みんなで同じ作業もしくは年功で決める慣習が強いが、それでも各々得意分野で力を発揮している様子は見える。やっぱり好きで得意な仕事は楽しいもんだ。野菜が好きな人、機械乗るのが好きな人、機械いじくるのが得意な人、力仕事が得意な人。自分がやりたいことをやらせてもらえないことも多々あるが、傍から見ててみんなやりたいことをやっている気がする。

同じ作業を1人より2人でやった方が効率が2倍以上あがるのは農業では当たり前。だから、うちの組合でもみんなばらばらの作業をすることはない。必ず2人以上でやっている。当たり前のようにやっているが、でもそんな当たり前じゃなくて、ずっとそうやってきた結果だろう。
必ず誰かと作業をすることで、必然的に会話が生まれる。なんか仕事って私語厳禁なことが多いけど、農業はそんなの関係ない。むしろ私語歓迎。しゃべってたらいつのまにか作業が終わっているというのがいい。作業に集中していようが会話に集中していようが作業の出来はそんなに変わらないから、許されるわけ。それはやっぱり甘いのかな?でもそういうもんだとも思ってしまう。


なんかぐだぐだ書いてきたけど、ほんと仲間がいたらほんとに農業って楽しい。もっとたくさん仲間がいて、ぼくにとってはもっと若い仲間がいたら、就農してもいいと思ってしまうくらい。裏を返せば、まだまだ仲間がいない、仲間と共に農業するという感覚が薄い現状があるから、就農する人が少ないんじゃないかと思う。だって、農業ほど同じ方向を向いて近い距離で協力してやる仕事ってないんじゃないかな?

農業はどうしても土地がからんでくるから、なかなかみんなの共有にするにも手間がかかる。集落営農ですら簡単に土地の集約ができない現状で、外部の企業が進出することなど毛頭不可能に近い。でもいつか、地元民、部外者関係なく、共同で農業するようになればいいなと心から願う。願うだけじゃなく、実現するために鮎河を拠点にずっと活動していこうと思う。

仲間と楽しく。

当たり前のようだけど、まだ当たり前じゃない、このもどかしさ。
若者の共同営農をいつか実現したいなあ。

2011年11月23日水曜日

ヒトとして自律して自由に生きる ~農業の良さ Part1~

   
これまでのブログを見返すと、なんとも報告日記のようなものばかりで、恥ずかしい限り。
まあ記録として残すことは重要だし、多くの人に自分の活動を知ってもらうにはありのままの事実を写真を多用しながら伝えることが効果的ではあるけども、やっぱりもっと示唆に富むというのか、うんうん考えていることを言葉にしたいよね。

と思って、今日はじっくり書く。農業の良さについて。
百姓という職業の良さといってもいいかな。
今回はPart1ということで、第一のポイントだけね。


鮎河に来てずっと思ってたことだけど、農業って本当に特殊な、というよりは基本だ。
世間にはいろんな仕事があって、○○業という枠におさまらない仕事がどんどん増えているけど、その中で農業は他のいかなる仕事とも相容れない特徴を持ってる。


どういう点でそう言えるのか、ちょっと整理してみる。


●食糧を生み出す

まずなにより、農業では食糧を生産するということがポイント。
食糧は、生きるのに必要不可欠。誰しも、食べないでは生きてはいけない。
逆にいえば、食べる物があれば、なんとか生きていける。

そもそも人はなんのために生きているのかっていう話がよくあるけど、
ぼくは「生きるために生きている」というのが正しいと思っている。
他の生き物も同じだけど、生きること自体に価値があると思う。
ちなみに、人間以外の生き物は自殺をしない。そういう意味で、人間より尊い。

脱線したけど、生きることに価値があるなら、それに必要な食べ物にも比類ない価値がある。
それを生み出す百姓という身は本当に尊いと思う。

元来、ヒトは皆農業や狩猟をして暮らしていた。
それは言うまでもなく、食べて生きて行くためだ。
それが、「ヒト」ではなく「人間」として社会というものを形成するようになってから、
支配者が登場し、役割分担が行われるようになり、農業に携わらなくても食べていける人が増えた。
そして今では、日本の農業従事者の比率は約2%だ。

それだけ農業生産性があがったとも言えるわけだが、やはり農業に携わらない人間としては、自分は食べ物をつくるのを他の人にお願いしているという気持ちを忘れてはいけない。
自分は農業のスキルがないから、他のところで価値を提供して食べ物をいただいていると。
こう書くと、なにかの宗教じみているように聞こえるし、これだけ社会が高度に(?)なったいまでは古い考え方だと思われるかもしれない。

でもぼくは、やっぱり農業が生きる上で基本なんじゃないかなあと、こっちに来て強く思う。


●自然と向き合う

農業は、良くも悪くも自然との闘いだ。
天気、害虫、獣害..... どちかかと言うと、自然と協力するというよりは闘っている。
実際はもちろん、自然のおかげで美味しい作物が獲れるわけで、だからこそ神様にお祈りをする。

自然と協力して仕事をすることは容易ではない。
体力的にも、精神的にも、なんだかんだやっぱりえらい。
都会の満員電車やデスクワークも違った疲れがあるけど、農業は普通に疲れる笑

けど、自然と向き合っての作業はなんだか心地よい。
簡単に言うと、「生きてる」って感じがする。
それも、「人間」としてではなく、「ヒト」として生きてるって感じ。
一生物としてこの地球で生きてるって感じ。


●自由に時間を使える

農業は時間に縛られない。わけではない、正確に言うと。
なるべく天気のいいとき、あったかいときに作業をしなきゃやってらんないわけで。
でも都会みたいに何時に待ち合わせで何分以内にプレゼンしてみたいな細かい制約はない。
そして個人営農の場合は、なにをするにも自分次第だ。

だから、時間に追われるという感覚はほとんどない。
やばい、暗くなる前に終わらせな、っていう焦りはあるけど笑
それも自然との闘いでまたいいではないか。
とにかく、なんとなくゆったりした時間感覚になる。


以上3点を見てみると、
農業は、「ヒトとして自律して自由に生きる」最高の形やと思う。

もちろん、鮎河には専業農家はおらず、週末を中心に少しばかり農業しているだけだ。
それでも、一人で畑仕事をしているときは、だれしも「ヒトとして自律して自由に生きている」感覚があるんやなかろうか。

もちろん、みんなで作業するのも楽しい。
だからこそ営農組合は耕作放棄地をすべて引き受けてこられたわけだ。
農業にも人間同士の関わり合いはあり、社会がある。
けど、農業そのものを考えるとき、その一番の良さは、「ヒトとして自律して自由に生きる」ことができるということではなかろうか。


鮎河に来てまだ2カ月半しかたっていないが、漠然とこんなことを考えている。
鮎河を去っても、一人でも農業は続けたいなあと思う。

次回はPart2ということで、さっきちょっと触れた人間同士のかかわりの部分の良さを書きたい。

2011年11月4日金曜日

自分の畑 経過報告!

いやあ、鮎河も寒くなってきた。
日中は20℃を超える日が続いているのに、朝晩は一ケタ台に下がるときもある。
というわけで、こたつを導入した。
やっほーーーーい\(^o^)/剛さんのお母さんが貸してくれたものだ。

だんだんブログを書くのが億劫になりつつあるから、今日はさくっと報告をしたい。
1ヶ月半ほど前に種蒔きした自分の畑の様子を、3枚の写真で振り返る。
変化がかなり鮮明にわかるで笑
ほんとはもっとたくさん撮ればよかったのだけど。。。><



9月18日(種蒔き時)



10月12日



11月4日(追肥後)


1ヶ月半でこんなに成長するとは思わんかったなあ。
はじめにまこちゃんに色々手伝ってもろて肥料やら殺虫剤やらを蒔いて、
途中途中で草引きや虫とりを少ししただけなのに。
野菜って、ちゃんとした土壌があれば誰でも栽培できるものなんだね。


というわけで、ボーボーに生えてるミズナをぼちぼち収穫することに。
きちんと袋詰めすると、お店に並んでるものとほとんど変わらんの。



今後は、ぼちぼち日野菜や小カブ、大根が収穫できるようになるはず。
自分だけじゃあ食べきれないから、いろんな人におくったげよっと。

2011年10月19日水曜日

【小休止】四日市訪問

今日は農業の話題はおやすみ。

その代わり、友達を訪ねて四日市に行ったときのことを書く。
もう一ヶ月近く前のことやけど、ちゃんとブログに残しときたかったから。

四日市という町は知っとるかな?
たぶん「四日市ぜんそく」のイメージを持ってる人が大半やで、四日市の人はほんまにかわいそうなんやけど、一応三重県の中では一番人口も多いし、町も栄えてるとこらしいんや。
三重県に関する記事でもあるから、一応県全体の地図を載っけとく。
ちなみに県庁所在地は、津ね。


今回は大学の友達との久々の再会ということで、その四日市を訪問したわけだが、
彼が色々と四日市や三重のことを紹介してくれてんか。
今は鮎河という農村地域のことを真剣に考えているとこやけど、
地方都市や県のことについては考えたことなかったから、とても新鮮やった。
それを紹介したい。


基本情報やけど、四日市の人口は30万人程度。
中規模の都市といったところか。

さっきも言ったように、まず四日市と言ったら石油化学工業のイメージだ。
ぜんそくの加害者である石油化学コンビナートがあるからには、
当然四日市は石油化学工業を中心に発展しているところだと思っていた。
しかし、友達曰く、今はコンビナートもほとんど動いてないらしい。
これが実際の光景。なるほど、確かに煙突はかなり多いが煙はほとんど出ていない。



小学校のときの知識だけを頼りにしていたら、とんだ偏見をもってしまうことになるのか。
もう「○○工業地帯」とか覚える意味はないんだな。(今の小学生も未だにこう習ってるらしいけど)
それほど工業のあり方も変化している。

工業地帯としての特色が薄れているとしたら、じゃあ三重県で一番人口の多い四日市市とは、
いったいどんな街と言うべきなのだろう。
友達に聞くと、シンプルに答えが返ってきた。
「ベッドタウン」、と。

ベッドタウン??
ぼくの実家のある国立市は、都心に通勤する人のまさしくベッドタウンだけど、
なぜ三重県で一番大きな四日市がベッドタウンなんだ?

その答えは、次の写真に現われている。


なんと名古屋まで34分!特急やったら30分を切ってしまうんや。
三重県は近畿の一部やから、どうしても愛知県とは切り離して考えてしまうけども、
距離的には名古屋の郊外というべき位置にあり、人の流れも活発。
ちょうど東京と埼玉の関係といったところか。
三重県は東海地方の一つとして覚えたほうが役立つんやないやろか。

てなわけで、人生で初めて三重県を愛知とセットで認識するようになった。


名古屋のベッドタウンてことはわかったけど、
それじゃあ四日市の街自体は今どうなっとんねん?
三重県で一番大きいからには、色々面白いところがあるはずやろ~。

それを確かめるべく、ぼくたちは四日市視察に繰り出した。
正確には、案内してもらったわけだが。


まずは旧東海道を歩く。
四日市市は、意外と知られていないが東海道の43番目の宿だ。
ここから西やさらに行くと、今暮らしている土山や水口、そして草津へと向かう。
南へ行くと、かの有名なお伊勢さんにたどりつく。
江戸時代から宿場町として、交通の要所として栄えていた。

今でも旧東海道には古い街並みが残っており、古くから営業しているお店もある。
その一つに、名物の「なが餅」を作っている笹井屋というお店に立ち寄ることに。
文字通り、ホントにながーい餅。おいしい!



東海道をずっと歩いていくと、大通りにぶち当たる。
舗装されていて、なかなかきれいな大通りだ。
写真をとるのを忘れたが、ここは以前は路面電車が走っていたらしい。

そしてその大通りの両端が、JR四日市駅と近鉄四日市駅だ。
珍しいのかどうかわからんが、「四日市駅」は2つ存在していて、両者は1kmも離れている。
友達曰く、昔は海沿いにある工場に近いJR四日市駅周辺が栄えていたが、今では内陸側の新興住宅に近い近鉄四日市駅周辺が栄えているんだとか。
工業のあり方、人の住む場所が変化するにつれて、街のあり方も変化する。
四日市はその顕著な例だ。

ここに、四日市がいまいち発展しない理由があると友達は言う。
街の中心部が定まらず、1km隔てて街が分裂してしまっている。
これでは住民にとって不便だ。
新しく進出する企業やお店にとっても、どちら側を選んでよいのやら。

分裂というと、三重県全体にも当てはまる。
最初に貼った地図を見てもらえばわかるように、三重は縦に長い。
経済活動で地域を分けるとすると、名古屋圏に入る桑名・四日市エリア、津を中心とした津・松阪・伊勢エリア、そして山奥にある熊野・尾鷲エリアという感じか。
それぞれの経済圏が分離していて、三重県全体としての一体感がない。
友達が言うには、県庁所在地である津はほんとにしょぼい街で、それが三重県の求心力のなさを象徴しているんだとか。
地理的な問題もあるだろうが、もうちょっと県の機能を津なり四日市に集中して、三重県全体で経済圏をつくることもできたんじゃないかと思ってしまう。


そんなことを話しながら、ぼくたちは現在栄えている近鉄四日市駅へと向かった。
栄えていると言っても、正直期待していたほどではない。
学生たちは多いが、それ以外には人もあまり見られない。商店街もさびれてしまっている。

こういう街で唯一生き残れるのが、複合商業施設なんだろう。
四日市には、LaLa square という施設があり、やはり充実していた
安い食料品店、ゲームセンター、映画館。
薄利多売のこの世の中を象徴するお店が並ぶ。



結局、生き残るお店は東京や大阪にもある安いチェーン店ばかりで、
古くから四日市にあるお店や企業は追い出されてしまっているのだろう。
なんだか切ない。けどこれが時代の流れなんだろうか。

薄利多売の切なさは、四日市の伝統工芸品「萬古焼」の売上が落ちていることにも表れている。
萬古焼というと、土鍋や急須で有名な焼き物で、土鍋の国内シェアは7,8割と言われているくらい。
それだけ有名な伝統工芸品でも、このところは販売に苦しんでいるようだ。
今や、お金を持っているコアな消費者をターゲットにして価格をあげているとか。



萬古焼の展示博物館のようなところにも足を運んだが、全く人の気配はない。
長く続いてきた地方産業の存続が危ぶまれていることを肌で感じる経験だった。


なんだかやっぱり日本の地方の未来は暗いなあ。
そんなこと思いながら、こちらも人で賑わう近鉄デパートへ。
ここで、友達が一つのお店を案内してくれると言う。
このお店こそが、地方の未来、そして農村の未来に希望を持たせてくれる存在となる。


「伊賀の里 もくもく手作りファーム」という存在を知っているだろうか?
詳しくは、http://www.moku-moku.com/ を見てほしいんだけど、
三重県の伊賀市にある農事組合法人で、いわゆる「農業・畜産業の六次産業化」に大成功を収めている施設・団体である。
ぼくもちらっと名前を聞いたことがあるくらいで、詳しいことは知らなかった。

もくもくは、伊賀の養豚家が集まって1980年代に設立され、のちにソーセージの手作り体験教室をはじめたことをきっかけに集客が大幅に増加。以後、事業を広範に拡大してきた。
今や、三重県だけでなく、甲賀市を含めたその周辺地域にも広く知られる存在となり、
レジャーとして訪れる人や、ソーセージの郵送サービスを利用する人が多いらしい。
友達も、チーズinソーセージを購入していて、夕食にふるまってくれた。それがまたうまい!

六次産業化というとなんとなくここ最近のはやりの気がするが、
それを80年代からはじめていることが何より凄い。
数々の困難はあったと思うが、時代の先を行く人は、必ず成功を収めるのだろう。

仕事柄、常に農村部の将来を考えているわけだが、
やはりもくもくのように、その地域で取れた野菜やお肉をその地域で加工して販売していくことが、
経済的に生き残っていく一つの道であることは確かだ。
どうしても野菜やお米の非加工品の販売だけでは、採算がとれない。
TPPの議論が過熱しているが、輸入が今後さらに増えるとなると、なおさらだ。

まあ、成功例を真似するだけではうまくいかないのはわかっているけど、
ここに一つの光があることは間違いないな。

そんな話をしながら、もくもくが経営しているお店でジェラートを食べた。うまい。
商品の並べ方もセンスがあって、客を惹き付ける理由がわかる。


そんなこんなで、今回の四日市視察は終了~
記事が長くなってしまったように、すごく内容の濃い経験をさせてもらったな。
ただぶらぶら歩いていただけだけど、街のことを考えながら歩くといろんなことがわかってくる。

この経験を、今度は甲賀市や鮎河で活かしてみたい。
甲賀市はいったいどんな街で、鮎河の未来はどう描いていったらいいのだろう。

2011年10月12日水曜日

「百姓」は「えらい」。

そういえば、最近タイトルを「農業はえらいなあ」から「百姓はえらい」に変えてみた。

鮎河ではみんな自分たちのことを「百姓」と呼ぶ。
ぼくの感覚としては、「百姓」と言われると江戸時代の農民をイメージしてしまうし、なんとなく差別的な意味が含まれている感じがするが、こっちの人はためらいもなく「百姓」を連呼する。
古来からの習慣なのか、はたまた「百姓」を自負しているからなのか、どうなんだろう。

もともと「百姓」というのは、「たくさんの姓をもつ人」、つまり万民を指す言葉だった。
それが、いつしか支配者が治める対象の商人や農民を指すようになり、中世以降は、「百姓の本分は農である」という認識が広まる。そして江戸や明治期になるとその認識が完全に定着し、「百姓」=「農民」ということになったらしい。

語源からもわかるように、昔はほとんどの人が「百姓」だった。
自分の食糧は自分でつくり、あまったものは嗜好品と交換する。
農業は生活の基本であり、「百姓」は日本の主体だった。

鮎河に、鍋家さんというおっさんがいる。
おっさんは、「百姓」の身を心から誇りに思っており、「百姓」と自称するのもそれを自負しているからに違いない。
昼は畑にでて畑仕事。夜は農学や民俗学に関する本を読む。
農業に対する姿勢は、これぞプロの「百姓」だ。

「百姓」というのはやはり戦後期から差別用語として認識されるようになり、、それは都市が洗練されていて田舎が卑しいという昔からの認識が影響しているらしい。
そもそも、田舎が卑しいという認識が間違っているのに、それに引きずられて「百姓」も差別用語になってしまったわけか。なんとも悲しい。

鍋家さんを見ていると、「百姓」が卑しいだなんて、とんでもない。
「百姓」の仕事はほんまに「えらい」のに、それを苦にせず、誇りをもって全うする。
その姿勢は、ほんまに「偉い」。
「えらいなあ」なんて呑気に言ってられない。

「百姓」は「えらい」。

2011年10月5日水曜日

鮎河菜 あいがな

ここんとこなかなかブログを更新できん。
稲の手刈り(これまたどろどろになってえらいんや)やら鮎河菜の苗作りやらで外にいることが多くてなあ。

あっ、そういえば、鮎河菜っていう特産品は知っとお?
甲賀市の四大特産物やって、横内さん(農協の職員かつ同じ寮の隣人)が言ってた。
ちなみに他の3つは、水口のかんぴょう、下田ナス、杉谷ナス、確か。

今日は、鮎河菜ってどんな菜っ葉なんだろう?って思ってもらいたいから、
あえて完成品は見せずに、おなじみ畑作業、苗作りの様子を紹介するわ。

鮎河菜は、いきなり畑に種をまいてもいいが、
きちんと発芽させて成長してもらうために、セルトレイで苗作りをする。
ちなみに、セルトレイにいる期間は大体1ヶ月くらいで、その後畑に解き放たれる。

まずは、セルトレイをおく台を作る。
地面にそのままトレイを置いておくと虫がついてしまうので、高さを出さなきゃならんらしい。
これも百姓の長年の知恵だね。



土台の準備がととのったら、種植えへ。

セルトレイの中に、栄養たっぷりの培土を入れる。
袋からどさっと土をトレイに出し、手を使ってさぁーっと土をならす。
ふわふわの土と戯れることができてなかなか楽しい。


すりきり分の土が各トレイに入ったら、
次に種を入れるためのスペースをつくるために、【秘密兵器1】ゴリゴリ君を使用する。
水色のものがゴリゴリ君なのだが、側面に突起がずらーっとついていて、
転がすことで一突起一つのトレイにきちんとはまるようになっているすぐれもの。
ゴリゴリ君とセルトレイは相性抜群てことだ。


ゴリゴリ君によって、すりきりあった土の表面が突起分だけへこみ、そこにスペースが出来る。
そここそ、鮎河菜の種ちゃんがおやすみになる、いや育っていく部屋だ。
一部屋一人住むことになるのだが、一人一人入れていくのはつらい。
なんせ、セルトレイは約200枚もあり、一つのトレイに128部屋もあるのだから、計25600人も入れなきゃいけないのだ!

そこで登場するのが、【秘密兵器2】シャカシャカシャンだ。


構造はいたって簡単で、プラスチックの表面にセルトレイの部屋の数だけ小さなくぼみがある。
大量の種をシャカシャカシャンの中に入れて、シャカシャカすることで、
そのくぼみの中に一人ずつ種が入ってくれる。
きちんと入ってくれたことを確認したら、カシャンとプラスチックをずらすことで、
くぼみに入っていた種が下に落ちてくれるというわけだ。




種が各部屋に入ってくれたら、その上からまた培土をかぶせてできあがり!
さっきも言ったように、このトレイを200枚作るのだ。
最初は楽しいが、だんだん腰がえらくなってくる。
結局、初日はまこちゃんと2時間ほど、2日目は1人で2時間ほどやって、200枚終了~
並べられたトレイを見ると気持ちいいねえ。


今後は、朝晩と1日2回スプリンクラーで水やりせなあかん。
川から水をポンプでくみ上げてタンク(上の写真のオレンジの物体)に入れ、
そこからまた機械をつかって引き上げて蒔く。
毎回15分くらいなんやけど、毎日2回となると続けるのはちょっと根気がいる。
これを1ヶ月つづけたら、いよいよ苗を移し替えられるのだ!

また移し替えるときにブログ更新しまーす。
早く鮎河菜の完成品を見せたいな。

最後に、種を植えたのが10日前やから、いまの姿を見せるわ。
よう育っとるわい。

2011年9月19日月曜日

自分の畑で野菜づくりスタート!

ついに、自分の畑に手をつけるときがきた。
一昨日の雨、そして明日からの雨を考えたときに、
たとえ運動会で疲れていようと、昨日の夕方しかもうチャンスはなかった。

「今日ひとりでもやるしかないかなあ。」
そう思ってたとき、まこちゃんが声をかけてくれた。
「ほな、今日やるか。もう今日しかあらへんやろ。」
天使の声だーーー!


春日に入っているまきんぐもちょうど運動会を見に来てたから、
夕方4時ごろから3人で畑作りをすることに。
機械、種、肥料などは、全部まこちゃんが用意してくれた。

そもそもなんでぼくが自分の畑を持ってるかと言うと、
つよっさん(小倉剛さん)のお母さんのおうちが空き家になっていて、使わせてくれたから。
はじめて野菜作りをするぼくにとっては、ちょうどいい大きさの畑だ。


それでは、作業開始しますか。
ちなみに日没がタイムリミットやから、もたもたしてられんなっ。


まずは、元肥として化学肥料、なたね粕、そして石灰と籾殻くん淡を土に適当にまく。
併せて、殺虫剤も好みでまく。



次は耕起。
普通は機械でやるらしいんだが、やっぱり最初は自分の力で耕してみたいやんか~
てなわけで、鍬で掘り起こしてみることにした。



まあ大方の予想通り、これはえらい。
もちろん、一気に広い面積起せないというのもあるが、深く掘ることができないのがさらに問題。
やっぱり野菜のことを考えると、機械でふわふわの土を作らんとな。

というわけで、早くも鍬から耕耘機にチェンジ($・・)/~~~



土を起せたら、次は畝づくり。

この前はええのうの耕耘機で畝を作ったが、今回は面積も小さいし鍬で溝を作っていくことに。
土はもうやわらかくなっとるから、掘り起すわけではなく、あくまでも溝となる部分の土をかき出して畝(山脈)をつくっていく。
でも力が入りすぎて堀すぎちゃうし、まっすぐ溝を作るのは簡単ではない。



ちなみに畝の幅や高さは、植える野菜の品種や何列で植えるかによって決めるらしい。
そういうの考えるのが農業のおもろいとこなんやな、きっと。
でもどの品種がどのくらいの大きさになるのかとかどのくらいの間隔で植えればいいのかとか全くわからないぼくらは、適当にバラバラの幅で作ってみた。


きれいに畝の形を整えたら、いよいよ種蒔き!
とにかくたくさんの種類の野菜を植えてみたいということで、栽培可能なものはすべてチョイス。
大根、白菜、キャベツ、ホウレンソウ、みずな、かぶ、。
白菜はまこちゃんが苗を作っておいてくれ、キャベツはこの前畑に残っていた苗を利用。
その他は、まこちゃんが用意してくれたいろんな品種の種を使用した。



上の写真が、もみがらを蒔いたあとの完成写真!

<左から1列目> 60日白菜、90日白菜
<左から2列目> おでん大根、秋晴(大根)、秋の夢(大根)
<右から2列目> 水菜、アトラス、あまいホウレンソウ
<右から1列目> 小カブ、日野菜、キャベツ、90日白菜

実に色とりどり(^^♪
種蒔いたのは昨日やから、上に書いた品種名と順番が合ってるのか自信がない笑
まあ芽がでてきたらなんとなくわかるやろ。


そんなこんなで、まこちゃんにところどころ手伝ってもらいながら日没までに終了~
運動会のあとにもかかわらず、ありがとう!
あとは毎日きちんと水をあげ、ときどき除草をすれば、野菜はすくすく育っていくのだとか。

よし、面倒臭がらずにやろう。
そして毎日Twitterで成長過程をつぶやいていこうかな。

楽しみながら育てるのが肝心だ。